ダンス甲子園が日本ダンスシーンに及ぼした影響
【ダンス甲子園が日本ダンスシーンに及ぼした影響】
ダンスをやっている皆さんは、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で1985年〜96年にかけて放送されていた「高校生ダンス甲子園」を知らない方は少ないと思います。
また、高校生ダンス甲子園と聞くと、セットで”山本太郎”氏を思い出す方も多いのではないでしょうか?彼は現在は参議院議員ですが、高校生当時、「アジャ・コング&戸塚ヨットスクールズ」の「メロリンキュー」として出演していました。
ダンスのスキルは別として、その驚くべき心臓の強さは、ダンサーにとって必要な要素…かもしれませんね(笑)また、”エンターテイメント性”という点で考えると、見ている人を楽しませたい、感動させたい、という意識は、時に技術「だけ」にこだわりがちなダンサーにとって、重要な視点ということは間違いないでしょう。
あくまで「ダンスのスキルは別にして」という注釈付きですが…。
♢ダンス甲子園が全国のダンサーへ及ぼした影響
ダンサーへの影響というよりも、正確にはダンサー予備軍に対して多大な影響を与えました。
後にLLブラザーズも語っていますが、あの当時、高校生が「本格的に」ダンスをするという発想そのものも、まだあまりなかったようです。
今のように、各地のダンスコンテストも珍しく、メジャーデビューの機会も限られていたことや、そもそもダンスの情報自体が乏しかったということもあるのでしょう。
しかし、「ダンスが好きだ」「目立ちたい!」「ダンサーとしてプロになりたい!」というような刺激やキッカケを与えたという点は、最大の貢献を果たした番組だったかも知れません。
♢第二次ダンスブーム
日本における「第一次ダンスブーム」と言われる時期があったのをご存知でしょうか?
1978年~82年頃にかけて、後に「ディスコクラシック」と呼ばれるようなディスコの定番ダンスソングが生まれた時期です。
バブル景気に湧く日本で、ディスコが絶頂を迎えていた時代に、ABBAやChicなどが歌う曲が人気になりました。
Abba 【Mamma Mia】
ABBA 【Gimme! Gimme! Gimme! (A Man After Midnight)】
CHIC 【Le Freak】
CHIC 【Dance, Dance, Dance】
その後、1983年〜89年にかけてが、第二次ダンスブームです。『ワイルド・スタイル』と『フラッシュダンス』の2本の映画がキッカケとも言われていますが、この時期のダンスブームを牽引したのは、間違いなく高校生ダンス甲子園だったと言えるでしょう。
この第二次ダンスブームの時期に中高生だった世代が、今なおダンサーとして活躍してます。有名なダンサーのプロフィールを見ると、ダンスを始めたキッカケがダンス甲子園だったという記述をよく見かけますが、あの番組があの時代に放送されていなかったら、彼らがダンサーになっていなかったかもしれないと考えると、ダンス甲子園の影響の大きさに気付かされます。
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